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感謝できることを書き出してみると、不満や怒りは小さくなる

感謝できることをリストにする

最近、「感謝できることを探して、書き出してみて下さい」という提案をある方からいただきました。感謝できることを書き出していくと、その気持ちがあふれるようになるからだそうです。自分はそこそこ感謝の念のある者だと思っていましたが、実際に書き出してみると、思っていたほど、これまでは感謝を言い表していなかったことに気付きました。やはり、書き出すことの直接的な効果は「そのことを考えて、探すようになる」ことでしょう。つまり、今までは感謝したつもりになっていましたが、感謝できる理由を探してはいませんでした。そして、感謝していることを具体的に言語化していなかったという訳です。

画像引用 https://www.photo-ac.com/profile/847939

書き出していくと、自分の見方が変わっていく


ささやかなことですが、感謝できることを探して書き留めていくと、考え方がかなり積極的になります。例えば、10/3にこんなことを書き留めています。【妻ががいつもより早く起きて、サンドイッチを作ってくれた】翌日10/4は 、【今朝は妻がゆっくり寝ていたので、考える時間が取れた。どちらが生じてもその利点に注意を向ければ感謝できることに気付けた】
こんな具合に、物事には感謝できる要素がたいていあるということに気付けます。ふつうは「今朝は妻が起きてこなかった。なんてこった」と否定的な見方になりがちですが、自分が考える時間を取れたと感謝できる側面に注意を向けられるのです。感謝と不満は表裏一体ですね。感謝の気持ちが大きくなれば、不満や怒りは小さくなります。

相手にも伝わる


感謝リストを作り出したら、ものの見方がよくなったよ、と妻に話しました。そして、上の例を話すと笑いながらも「なるほどねえ」と感心していました。そして「わたしも感謝リストを作ろっ」と言いました。感謝の気持ちを具体的に表すと、相手にも伝わります。妻も前より明るくなったような気がします。

感謝リストを作ってみませんか


ささいなことで「ありがとう」と言うのが、気恥ずかしく感じるかもしれません。でも、わたしたちは感謝すべきことに囲まれているのです。命をいただいたというような根源的なことはもちろんですが、きょうはこんなミスをしてしまった。もう少し注意深くなければいけないという教訓を学べた。これも感謝できることです。それを書き留めて、感謝リストを作ってみましょう。あなたの不満や怒りは小さくなり、感謝があふれるようになるでしょう。




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